“むかし”と言っても漠然としている。今言いたいのは爺さん婆さんの出てくる昔話の昔ではなく、学校の教科書に出てくる歴史の昔でもない。自分が育った小さい頃の昔である。10年ひと昔とも言われるが、生まれて七十数年も経つと昭和から平成、令和へと変化し日に日に昔人間になっているのである。

昔、田舎では自給自足の生活をしていたという話である。米を筆頭に野菜作りや山菜採り、乾燥・塩蔵して貯蔵食にし、梅干を漬けて、味噌を作って、それこそ昔は塩作りもしていたらしい。家の周りには鶏が餌をついばんでおり子供は海岸へ行って貝砂を取ってきて与え、お礼に卵を頂いていた。納屋へ行くとどの家庭でも牛や馬がいて農耕用兼換金用をして飼われていた。餌は野草だからできたことで糞尿は肥料にも活用されたのである。耕運機が流行ってきたのもまだ記憶に新しいところである。

こんな話をすると子供から何を言っとるんやと、相手にもされない。昔はそれで生きてきたのだ。昔の嫁は伝統を引き継いだが今の嫁はカツガツ捨て、今ではほぼなくなってしまった。

スーパーへ行けば何でも買える便利な時代である。各家庭の個性的な“おふくろの味”が、今は市販の“お袋の味”と揶揄されたのはハヤひと昔前のことである。

近所でも漬物作りが好きな人がいて、時に頂いたりするがアーそうかと、味は市販の漬物の素に漬けたものが多いように思う。人にプレゼントするにも一般的な味の方が安心感があるだろうか。

さて、梅干しについてみると先ずは原材料。田舎ではどの家でも庭や畑の隅などに梅の木の一本や二本はあリ実は採れる。問題は品質で放ったらかしでは黒い斑点が付き見かけは良くない。樹全体に太陽光が当たるよう枝の選定や虫や病気に侵されないよう防除をしないと良い実が採れないのは確かだ。自然の中に生かされている人間のこと、自然に育った物を頂ければそれまでのものだが。漬け方は見たり聞いたりすればいいがあれこれと面倒なことは確かである。

次は、日本の伝統食品ともいえる味噌、豆腐、納豆。どれも原材料は大豆である。この大豆は大半が輸入物である。第二次大戦後、食糧不足の時代に主食の米が優先され取り残されたのであろうか。水田の畦畔に植え付けた「あぜ豆」なるものもあったが今はない。作業性や価格、品質面において国産は実用的ではないようである。畑近所の友達から「貰った大豆があるから一緒に味噌を作ろう」との誘いで二回ほどやらせてもらった。ドラム缶制の釜と大きな鍋に大豆を煮て専用の機械ですりつぶし、塩と麹を混ぜ合わせて貯蔵する。小さい頃には味噌蔵の中に麹菌の蔓延った木樽があった。貯蔵期間が短いと白味噌、長く置くと赤味噌になる。塩加減や柔らかさなど家によって違う。これを“手前味噌”と言ったのだろうか。受け身で作った味噌であっても作業後の満足感はあった。

先人から「豆、小豆・・・」という言葉を聞いたことがある。野菜や果物に比べて換金性が低い物という例えだったのである。今は自ら求めて大豆を栽培する人はいない。

自主的にやっていることもある。年越しに食べる蕎麦打ちと正月用の餅つきである。伝統どうのこうではない。物好きとしか言いようがない。楽しく好きなのである。

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